日本最後の名僧として江戸後期に生き、多くの和歌、漢詩や書を残し、特に書に置いては神品と言われる名品を多く残した良寛、また釈迦の教えを守り無欲に清貧に生きた姿は、夏目漱石、川端康成など多くの人から敬愛され、人生訓となる言葉を多く残されたその言葉を知る事が出来る美術館です。 最後にラウンジにてコーヒーをサービスとしてお出し致します。

 

 

良寬さんが出された手紙から無実の若者の為に役人に一筆申し上げる、 また母乳の出が悪い母の為、一生懸命替わりの物を探す、下の絵はキセルを良く忘れるので、ひもでつないで置いたらどうかと言われ実践された姿

 

          

                                   

  むかし、むかし、インドの深い山奥に、雪山童子と言う若者が、立派な人間に成り、畏れや不安から来る煩悩に苦しんで居る人々を、救う為の言葉を見つける為、厳しい修行をしていました。それを天から見ていた神、インドラはどのような人間かたしかめる為、下界へ降りて行きました。ある日森の奥で、諸行無常、是生滅法と言う言葉が聞こえて来ました。この言葉こそ、今まで自分が探していた言葉で有ると確信した若者は、その言葉が聞こえた森の中へ入って行きました。そして、森の中程に来た時、突然天を突く様な大きな鬼が現れました。お前は誰じゃ、私はこの森で修行をしている者です。ここに何しに来た、今森の中で諸行無常、是生滅法の言葉が聞こえて来ました。それはあなたがおっしゃったのですか、いかにもそうだ、この言葉にはまだ後に続く二つの言葉が有ります、それを是非教えて下さい。わしは今腹ぺこで話す気持ちに成らない。しかし、お前がわしの食料を差し出してくれるなら、教えて上げよう。解りました何でも言って下さい。お前はわしの食べ物を聞いたら腰を抜かすぞ、どうか言ってください。わかったでは言おう、わしの食べ物はお前の様な若い人間じゃ、若者は驚きもせず解りましたと言いました。お前は命が惜しく無いのか、私はこの言葉を探すために今まで生きて来ました。私の命と引き換えに、この言葉を残すことが出来、多くの人が救われるのでしたら、これ以上の喜びは有りません。では教えてあげよう、その言葉は、生滅滅已、寂滅為楽だ,若者はその言葉を回りの木や岩にたくさん掘り込みました。そして崖の上から身を投げました。体が宙に舞った時、突然大きな手が現れ若者を優しく受け止めました。それは神インドラでした。先程まで鬼の姿になって若者の本心を確かめていたのです。お前はこれから数百年ののち、多くの人を救う為、また、この世に生まれて来るだろうと言って天へ昇って行かれました。若者は予言通り、そののち釈迦族の王子として生まれ、お釈迦さまとなり多くの人を救う仏教と言う教えを起こされました。若者が探していた言葉が下の言葉です。これを無常偈と言い仏典の中に書かれています。日本ではこの教えを日本人として理解しやすい言葉として、表したものが、平安時代に出来たと言われている 「いろはにほへとちりぬるお」と言われていす。    おしまい 

                                         

 

     

 

当館のシンボル良寛さま

この木彫は良寛を敬愛された日本画家の大山忠作先生(日展会長、平成18年文化勲章受章)が所蔵されていた良寛さまで先生との交流を通じご縁有りまして当館のシンボルとなりました。

 

 

 

 

 

                   当館は日本海に面し晴れた日には、海上に佐渡島を望む事が出来ます。

良寛さま五合庵のジオラマ

皆様にカメラで自由に良寛さんとの記念写真をお撮り頂けるコーナーです。